(サムネイル写真は1921年に操業を開始した京都麻織物工場のノコギリ屋根)
(以下の内容はThreads6/19の投稿のまとめです)
「リネン素材の高騰の行方」を見立てる前に、日本でのリネン素材の歴史を紐解いていくほうが良いように感じました。歴史の中に、今後を見立てるヒントがある…そんな気がしています。すみません!また長文です(ご興味ありましたら)
現在では、一般の認知も拡がり、欠かせない天然繊維リネン。優しく柔らかで着心地の良い風合いに魅了されている方は少なくありません。しかし、リネンは、日本の在来植物ではないだけでなく、明治期後半に国策として導入されたのが始まりだという事は、広く知られていません。
・殖産産業として導入された繊維素材
明治期になって、まず当時の政府が取り組んだのは先進国(列強諸国)に劣らないレベルの軍備を整備することでした。欧米から導入し模倣を始めた政府は、武器弾薬の手配だけでなく、装備品の調達を必要とします。当時「最も頑丈な繊維」を自国で生産しなくてはなりません。そうです、それがリネン(亜麻)。この物語が始まります。
・昭和期までの隆盛と戦後の衰退
さてリネンを国内生産するには、どうしたら良いのでしょうか?政府は本場の欧州へ技術を学び、北海道でFlax(フラックス:リネンの原料植物)栽培を始め、日本初のリネン紡績をスタートします(1900年頃)。国策として軍備を拡げることは、リネンの需要を高め、確固たる産業の地位を日本市場で築いていきます。これは欧州でも同じで、繊維資材=リネンとして様々な分野で用途を広げていきます。黎明期の飛行機の開発には、リネンの帆布(キャンバス地)が用いられており、実際に使われていました。しかし…第二次世界大戦後に、繊維市場で大きな変革が生まれます。「化学繊維」の登場は、リネンの産業資材市場から押し出してしまいます。化学繊維は言うまでもなく、丈夫で安価な大量生産が可能だからです。この大転換期に、日本からFlaxの畑と紡績が消えて行きます。用途も「油絵用のキャンバス」「高級スーツの芯地」など一部に残るのみとなりました…日本におけるリネンの歴史で”最初の危機”と言えます(1950年代頃)。
・変化するファッション市場の潮流
戦後復興期に、日本で(いわゆる)洋装が主流になり、国内外からアパレル製品が供給されるようになります(1960年代頃)。欧州ではリネンの高級服伝統(例えば14世紀から100%リネン服はフランス王室御用達のラグジュアリーでした)があります。そのため有名欧州メゾンはリネンをコレクションにどんどん導入し発表を始めます。伝統の手紡ぎリネン(ハンドクラフト高級生地)から、機械化され工場できる時代(旧来より安価となります)となっていた当時、欧州のデザイナーはこぞって毎シーズン採用をします。そのトレンドは、”洋品”にあこがれた日本にも、ファッションアイテムとして到来してきます。「リネンはおしゃれなファッションにはかかせない」という認識が日本でも広がることになりました。その結果、 産業資材から、ファッションファブリックへリネンは変容を遂げていきます(1970年代)
日本ファッション市場へ、
巨大なリネンブームが到来 バブル期がやってくると、日本ファッション市場は空前の好景気。リネンもその潮流で、バブル景気となります。大量のリネン糸が欧州から輸入され、国内で製織・染色され、お洋服が店頭に溢れかえります。そのほとんどが、いわゆる「バブリー服」で肩パット入りのセットアップスーツになっていたこと、現在好まれているリネン服とは大きな違いがありました。この時、リネン糸・生地も、今では信じられないくらい高価でした(1980年代)。
・そのバブルの崩壊から低迷期
ブームの頃、高級すぎるリネン生地の廉価版として、様々な素材が出回ります。リネンコットン混紡、リネンラミー混紡、リネンポリエステル混紡などなど。リネン100%と比べて(はっきり申し上げて)品位が高いとは言えない素材は、結果として「消費者を裏切る」ことになります。この時頻繁に「おやっ麻ってチクチクするわね」と言われ出します。ご存知の通り、長年欧州でベッドシーツで使用されているリネンはチクチクしません。原因は、混紡時に混ぜられたラミーです(これ以上言及すると業界利害関係者にクレームされるので…)。
・リネン産地の大転換(欧州から中国へ)
日本のリネンブームは去り、消費者からソッポを向かれます。「高級なのにチクチクする」っていうスティグマを負うことになります。輸入されたリネン糸・生地は買いたたかれて、最後には流通で不良在庫となり、長い低迷が続きました。一方、グローバリゼーションが進んで「高い人件費」を逃れるため、欧州のリネン紡績は、人件費の安いところへ移転を始めます(アフリカ、旧東欧、中国)。特に当時中国には、国営企業としてリネン紡績が存在しており、国内Flax原料で紡績を続けていましたので、設備が存在していました。加えて、改革開放の流れに乗って、外資を求めていたこともあり、中国の企業がリネン紡績の大部分を最終的に引き継ぐことになります。この時、リネン糸の価格が大きく下降したことは想像しやすいと思います(1990年代)。欧州と比べて品質的には劣るけれど、コストは大幅に変化し、これが現在に繋がるリネン市場の拡大に繋がります。
・セレクトショップ時代とリネン市場の拡大
ファッション市場が百貨店からセレクトショップに代表される専門店へ移行していく日本市場、そのひとつの領域として「ナチュラルライフスタイル」ショップの開発が成功します。セレクトショップのオリジナル商品が開発される中で、リネンが再び復活をします。中国でのリネン生地の品質は日進月歩で、安くて高品質へ近づいていきます。しかもコストは、90年代以前よりはるかに安いのです。例えば、婦人服のシャツを取り上げてみましょう。今現在百貨店で¥14000で販売されている同等品が、90年代当時に百貨店では¥39000程度していました。もちろん、単純に比較は出来ないのですが、欧州ベースから中国ベースに変わったことは、日本のリネン市場を拡大して、現在私たちにとって身近な素材になってくれました。
リネンのコモディティ化から現在
2000年代以降は、リネン市場は拡大を続け、大手商社や中間流通生地問屋が参入し、ファストファッションまで企画に取り入れられることに至ります。いわゆる「安定的に量が出来るとコモディティ(汎用品)となる」経済的効果が生まれ、たくさんのリネンのファンカスタマーが、いつでも手に入れやすく愛される素材となりました。それは、リネンの美しさ優しさ着心地・使い心地など、本質的に宿っている価値(欧州人が愛してやまないようなライフスタイル的な価値)がようやく広くユーザーさまへ響いている実感でもあります(産業資材~バブル期にはなかったと思います)。
約100年間のリネンの歴史(日本のみですが)。 産業資材→低迷期→ファッション素材→バブル→バブル崩壊→低迷→ナチュラルライフスタイル素材として復活→広く愛される素材→(原料高騰)・・・はたして今後はどうなるのか、歴史から学びながら、後日、見立ててスレッドにしてみます。